1959年1月2日、旧ソ連のルーニク(ルナ)1号が月へ向かって飛び立った。ルーニク1号は1月4日、月のそば約6000kmを通過した。公式にはこれが月探査の幕開けとなっている。
同年の10月にはルーニク3号が史上初、月の裏側の撮影に成功した。今から思えば驚くほど不鮮明な画像だったにもかかわらず、宇宙開発ではソ連が完全にアメリカの優位に立った印象を与えた。7年後の1966年2月3日、ルナ9号が月への軟着陸に成功。この当時は殆ど誰もが「月一番乗りする人間はソ連」と思ったものだ。アポロ11号が月へ飛び立った頃、ソ連の「あがきぶり」は子ども心にも滑稽であり、哀れだった。
先日、中国による月探査機打上げ計画のニュースが入った。友人月着陸を目指しての布石だという。古来から月は人々の関心の対象だったゆえに、国威発揚や政治的なPRにも利用され続けてきた。この構図は半世紀たった今も変わらない。
※ 当時は「探査機」ということばは用いず、単に「月ロケット」とよんでいた。